2011年3月30日水曜日

いのちの重さ


今回の震災で、たくさんの尊い命が失われ、今も不自由な生活を強いられておられる方がいます。
先日、週刊ポストでビートたけしさんがこうおっしゃったそうです。

少し抜粋させていただきます。

『今回の震災の死者は一万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。

テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。

だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者の事をまったく理解できないんだよ。 じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。

人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。

そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。

一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が1人死ぬ事の方がずっと辛いし深い傷になる。残酷な言い方をすれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。
そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。
2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいてその悲しみに今も耐えているんだから… 』

【一人が死んだ事件が二万件あった】

という言葉。 深く考えました。

失われた一人の命に、何人もの悲しむ方がおられるのだろうか。

毎年、年間死亡者数百万人超えというのもまた、自分もやがてその一人になるんだと感じます。

『大勢の中の一人』 ではなく、人の数だけ、人生という物語があって、 そこに『命の重さがある』ことを忘れてはいけないんだと感じます。

人生を送って、消えていく命だけでなく、命の重さは、この世に産まれる前から、重いものです。

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