2008年6月28日土曜日

6月28日(土)勤務医の労働環境を考えるシンポジウムに参加してきました。

6月28日13:30から東京医科歯科大学5号館4階講堂にて、多くのマスコミや、医療関係者が集まり、会場はほぼ満席でシンポジウムが始まりました。

過重労働の末、亡くなった小児科医、医師不足から起こった産婦人科の事件(医師が逮捕されました。8月10日判決が下されます。
資料の中に鎌田實医師の心からの叫びのようなメッセージが手書きで入っていました。
「僕は10数年前、医療がやさしさをとりもどすとき、という本を書きました。まだ優しさをとりもどしていません。とりもどせないのです。
忙しすぎて。病院医師の一週間の労働時間は64時間、若手ドクターだけの調査では93時間。
優しい医療を受けたい国民がいて、優しい医療をしてあげたい医療者がいるのに、
悲しいです。
2200億円の抑制がかかってから、医療現場はさらに、疲れています。
悲しいです。
日本の医療が良くなるために、シンポジウムの成功を祈っています。」
様々な医療者がいるけれど、問題は医療者にあるのでしょうか。国民ですか?行政ですか?

受けたい医療が受けられなくなる、治療ができなくなる、なんて、そんな医療になってはいけないと思います。

2008年6月26日木曜日

ワーキングメモリーって・・・足りていますか?不足ならば・・・脳トレの仕方

言いたいことがたくさんあって、あれも話そう、これも話そうなどと考えているとします。 こんな状態を「やりたいことだらけストレス」とでも呼んでみましょうか。 良くも悪くも普段と違う刺激はストレスになります。気持ちとは裏腹な行動は明らかにマイナスのストレスで、このときあなたの脳内で起こっていることをパソコンに例えると、メモリー不足によるフリーズ状態とういうらしいですよ。そんなときは、再起動、つまり仕切りなおさなければいけなないようです。
人間の脳には、いくつかの作業を併行して走らせる能力が備わっています。 「ワーキングメモリー」を多重に走らせる力です。「ワーキングメモリー」は作業のための記憶、「脳のメモ帳」のようなもの。パソコンで書類を作りながら電話を取り、用件をメモして再び書類作りに戻るくらいの作業量なら脳のメモ帳は少なくてすみ、ワーキングメモリーの容量にも余裕があります。 ところが、書類作りの最中に横から次の会議の打ち合わせをされたり、キーボードを打ちながら相手の話を追っていくために、新しい脳のメモ帳を広げなくてはならなくなりますね。。 その結果、人によってはメモ帳の数が増えるうちに、最初の作業の一つか二つが飛んでしまうでしょう。急なストレスによってワーキングメモリーの容量が極端に低下すると、考えること自体に疲れてしまうのです。 そう、ワーキングメモリーの容量に要注意なのです。
ワーキングメモリーに余裕がない。だったら容量を増やせばいいのでは、という話になります。しかし、発達途上の子どもたちならまだしも、中高年で容量を増すことは難しいものです。むしろ維持する工夫が大切で、その一つが実は「脳トレ」なのです。 脳トレは「脳を鍛える」という触れ込みですが、ここで言う「脳」とはワーキングメモリーに関わる脳の部分のことです。確かに最近はやりの脳トレゲームは前頭葉を活性化するので、その刺激によって少しでもワーキングメモリーの力を維持できるのでは、ということなのです。 しかし、脳トレゲームに勝るとも劣らず役に立つことが多々あります。運動すること、食事に気をつけること、人とかかわること。生活習慣病予防の方法がほぼそのまま脳機能維持の方法なです。 諏訪東京理科大学教授の篠原菊紀先生がかかわっている、蓼科高原「脳トレツアー」なども、このコンセプトで企画されています。脳年齢推定やいわゆる脳トレも行われますが、なにより、自然の中を歩き、脳に優しい食事を摂る、そういう当たり前のことが実は脳を鍛えることになるのだそうです。 ところで最近、「キレる大人」が多くなってきているそうです。 キレやすさには二通りあって、一つは反社会型のキレやすさ。 もう一つは爆発型のキレやすさ。これは、何らかのストレスがかかった時、衝動的にキレるケースです。例えば、レジの列でイライラして急に大声を上げる人や、店員の対応に過剰反応する人などは爆発型で、最近はこんな人たちを指して「キレる大人」と言うらしいですね。 キレるという現象の裏にも、ストレスとワーキングメモリーの関係が隠れています。慢性あるいは急性のストレスによってワーキングメモリーの容量が極端に減ることで、衝動的にキレてしまうのです。 ワーキングメモリーに余裕を持てる様に「脳トレ」が必要でしょう。 あなたはどうですか?

2008年6月24日火曜日

いきているこころ

通常私たちは、意識をして呼吸をしたり、心臓の鼓動を感じたりしませんね。
私たちが意識しなくても、体の細胞は、どんどんかわってきます。でも日々生きていることは自然で、意識しませんね。
でも、私は時々「生きている」ことを確認します。
たとえば、道端に咲いている小さな花を見たとき、心地いい風を感じたとき、会話や星を眺めるとき・・・・、一番は、朝、目覚めたときです。「おはよう」と、母に挨拶をして、にっこりとします。
そのとき、「今日も朝が来た。」と感じるのです。
もしかしたら、何度も死の淵をさまよったので、そう思うのかもしれません。
でも、人はいつか別れがあります。何人もの方と永遠のお別れをしてきました。私も朝が来ない時は必ず、いつか訪れます。
だから、今、生きていることを感じながら、(楽しいことも、悲しいことも、どんなことも)たくさんの方に感謝しながら、生きていこうと思います。
昨夜、ブログにコメントをいただきました。コメントは公開せず、私の心にしっかりと刻むことにしました。きっとコメントを下さった方が、これを読んでくださることを信じて。本当にありがたいコメントです。あたたかさや思いやりがぎゅっと伝わってきました。涙が出て、しばらく泣いていました。私はまだまだ人間が小さいなと思いました。

嬉しいとき、心もわくわくします。悲しかったり嬉しかったり、心は大忙しです。そうしながら、私の心は生きています。たぶん、成長もしています。(自信ないですが)
皆さんのこころ、生き生きしていますか?

2008年6月21日土曜日

2008.6.21第6回ペイシェントフォーラム「からだとこころにやさしいがん医療」に参加しました。

主催:特定非営利法人 ジャパンウエルネス
場所:永田町砂防会館(200名ほどの参加)でフォーラムが始まりました。
最初の講演は、「千葉県がんセンターの試み」として、千葉県がんセンター長 竜医師(肝臓、胆嚢、すい臓がんの治療をしている外科医。)
医師は、病気と共存共生していく中で患者体験者も含めて医療を考える取り組みを考え、どうやったらどこにいても質のいい治療ができるかを考え、力を合わせて「がん」にうち克つ千葉をスローガンに推進対策をしており、在宅支援、在宅緩和ケアにこだわっているそうです。それで、千葉県独自の地域がん診療連携拠点病院を作りました。相談支援業務にピアカウンセラー(患者家族や元患者)の導入し、たとえば、慈恵柏病院は卵巣がん、女性がんに優れている。とか、口腔ケアをする歯科では、抗がん剤使用時に肺炎などの合併症を防ぐことができるのではないかなどを連携して行うそうです。さらに、エビデンスつくりをして、新薬を日本に浸透させたいとのこと。
さらに、緩和ケアチームから、がんサポートチームへと変更。これにより、末期だけでなく治療の当初からかかわることと、患者だけでなく家族とも最初からかかわることができるようになったそうです。
次の講演は、埼玉医科大学国際医療センター精神腫瘍科 大西 秀樹教授(ご家族の立場でもあるため、家族支援、グリーフケアも行っている。)でした。
がん→死というイメージは誰もが持ってしまい、とてもストレスがかかるっそうで、50%に精神疾患の病名がつくきます。(適応障害、ウツ、の診断が多い。)
うつは苦しい病気です。ご本人や、ご家族の痛みをとることと、苦しみをとること(精神腫瘍科で行う)を行わないと、精神症状による負の影響から自殺が増えるということがわかっています。
ご本人だけではなく、家族に対する精神医学介入が必要であると訴えていました。まったくその通りだと感じました。
パネルディスカッションは講演の医師とエッセイストの岸本葉子さん(ガンサバイバー)、コーディネータの内富医師(国立がんセンター東病院精神腫瘍学開発部長・・・私の尊敬する医師です。)で行われました。
精神腫瘍医としてがん患者専門で行っている医師は現状では少ないそうですが、精神科で行っている医師もおられるそうです。
がんは生きていくうえの必然で、余命もわかるため、残された時間を協力して、やることができます。気持ちが、がんの運命に差が出るといわれているので、西洋医学だけではなく、その人がたのしくやっていけるなら代替療法も行いたい人がいますが、科学としての結果が出ないのが現状です。
さらに「お金がかかるやつはインチキだと考えてよい。」と言っていました。
免疫療法では生存率が上がることもあるそうなのですが、安易なことに関しては、個人の責任においてやるべきことという部分が印象に残りました。
そして、家族が言葉をかけるとき、患者さんを励まさないこと。もし、言葉に詰まったら、何も言わないこと。そしてそっとそばにいるだけでも安心するので、みんなが疲弊しないように医療も様々な分野の介入が期待されました。

2008年6月18日水曜日

ゴースト、天国・・・信じますか?

みなさん、突然ですがオバケ(霊)はいると思いますか?私は信じてくれない人もいると思うのですが、(実際科学的に何か解明されているわけではなさそうなので)小さいころから、普段は見えないものや聞こえない声を感じています。病気ととらえる人も、嘘ととらえる人もいるでしょうね。
でも、昔から日本だけではなく世界中で幽霊の話がたくさんあって、私が留学したイギリスの大学はそのようなことを科学的に分析する研究がありました。この世には、見えないけれど存在している不思議なことってたくさんありますね。今回は、そのようなことがある、という前提でお話します。
先日私は、「シックスセンス」というビデオを見ました。ちょっと昔に映画になったものですが、まさに自分の幼少時代をみているようでした。そして、「ゴースト~天国からのささやき」というのを見ました。
幽霊というと怖いイメージがあるかもしれませんが、これは全く違って、とっても人間的な幽霊ばかりでした。ドラマの設定が、実際に幽霊と話しのできる能力のあった人物の、実話に基づいたものらしいのです。 主役の女の子は子供の頃、祖母に「あなたには、死者と会話ができる特別な力があるのよ」と言われ、彼女には普通の人に見えない霊が見えてしまうことを知ります。そして、霊も彼女と目が合うので、自分のことが見えるんだと分かって、女の子に助けを求めるようになります。 彼女の前に現れる霊は、それぞれの願いがあり、それを叶える為に必死に訴えかけてきます。このように、死者(ゴースト)からの生前愛する人たちに伝え切れなかったメッセージを伝え、さまよえる魂を安らかに天国へと導くドラマです。
これらのドラマを見ていて思うことは、この世に思いを残してしまうと、行くべき世界へ行けないということ、仏教でいうと成仏できないということでしょうか。人はいつか必ず死を迎えます。その時に、悔いのないように、やりたいことはやって、毎日を後悔のない生き方をしていくことが大切で、この世に思いを強く残してしまうと天国へいけないのかなと思いました。
「あなたの人生を振り返ってどうでしたか?」。。。この質問に、もっとこんなこともやりたかった、あのころに戻りたい、とほとんどの人が答えます。やってみて失敗したことを後悔するよりも、やりたいことをやらなかったことに後悔する人がとても多いように思います。 はじめから失敗することを考えてしまうと、何もできなくなってしまいます。後悔のないようにやってみること、そしてやろうと思っていることや、ありがとうという気持ちや、愛する気持ちを伝える、などということもそうですね。
もちろんこれは、人を傷つけて、自分勝手に生きることではありません。
私は、たくさんの人のためになりたい、とさらに思いました。「今」を精一杯生きることを再度心に刻みました。
生きる喜び、感謝の気持ちをいっぱいに、大切な人のために、豊かな人生を生きていきたいと思います。

2008年6月14日土曜日

医療事故・真実説明・謝罪普及プロジェクト公開フォーラムに参加しました


6月14(土)東京大学医学部研究棟鉄門講堂にて「医療事故対応のためのフォーラムに参加してきました。医療過誤や医療事故に対して、医療者がなぜ謝罪しないのか(過失を認めることになり、訴訟などで不利になるということでした)それに関して、訴える家族は、誠実なマニュアルではなく、心からの謝罪を求めていることで、実際に1歳6ヶ月のお子さんを医療事故で失ったご遺族と、医療ミスを認め謝罪したT病院の医師が一緒にコメントをしていたのに驚きました。
和解をしたそうですが、それには、病院側がすぐにミスを認め、謝罪し、改善策をとり、誠実な対応だったことと、それまでのコミュニケーションがきちんと取れていたことで、和解に至ったそうです。
訴訟となると、それを恐れて萎縮医療となったり、医療崩壊に拍車がかかりそうな気がします。
紛争になる前に、和解できると双方とも時間や精神的、経済的負担がなくなるのでは。と医療紛争メディエーターという紛争前の和解をする人の育成をしていますが(アメリカではすでに行われています)これも早稲田大学の和田教授(私の尊敬している教授です)が力を入れてくださっていますが、規制があって、まだまだ公平だとはいえない感じもします。
誠心誠意の対応があれば、紛争までいたらなくても、和解はできるのではないだろうかと私は思います。
あと、話は違うのですが、ある方から「人を助けるには、自分に余裕が必要です。だから身体に気をつけて。」と、とっても嬉しい、ありがたく、あたたかいアドバイスをいただきました。そうですね。きちんと心に刻んで、これからも頑張ろうと思いました。たくさんの方に支えていただいていること、感謝しています。
私も、社会貢献や、皆さんの力になれるように、心に余裕をもって頑張りますね。

2008年6月11日水曜日

オフィスの模様替え…空間のアレンジ

私のオフィスは小さいのですが、 ひとつの場所に長時間ることが多いので、気分転換に模様替えをしました。
空間の造りやレイアウトは心理面に大きな影響を与えるようですね。
たとえば、天井の高い部屋は、重力が軽くなるような感じがするので、そうしたオフィス空間では意見が気軽にどんどん出てくるような効果があるそうです。 反対に天井の低い部屋は、重心が低く、よくも悪くも圧迫感がありますね。そうしたオフィス空間では逆に作業への集中力を高めることができると考えられているそうです。 それは、レイアウトされている家具の色や材質などによっても左右されます。 重心を高くして開放的な空間を作りたいときは、家具は明るい色で軽い素材のものを選ぶのがコツ。 重心を低くして集中できるスペースを作りたいときは、色や素材が重厚で、どっしりとした形の背の低い家具を選ぶなど。 会議室におすすめしたいのは丸テーブルです。丸テーブルを囲むように座ると、それぞれの意識が円の中心に向かっていくため、集中力と一体感が生まれやすいと考えられているのです。 さらに、親近感がわきやすいといった効果も期待できます。
パソコンの作業などが多いオフィスには、レモンのアロマもいいと聞きました。ある実験によると、レモンのアロマの空間ではパソコンの入力ミス率が約半分にまで下がったそうですよ。 アロマテラピーの世界では、レモンの香りには心を冷静にさせ、頭をスッキリと明晰にしてくれる作用があるとされているらしいですよ。ちなみに現在私は実験中なのですが、レモンや柑橘系が好きな私には、ほのかに香る程度にしておくと、なんだかすっきりします。
いかがですか? この機会にお部屋の模様替えも試してみてくださいね。

2008年6月6日金曜日

小さな幸せ

最近、心が疲れている中、ちょっとした、いやとても嬉しいことがありました。
私の以前の働いていた会社の同僚(上司かな)から、久々に電話がありました。新しい職場で、努力をして、それを認められたそうです。同じ会社では、ちょっと不器用な方でした。でも、とてもお世話になった方でしたので、嬉しい知らせに涙があふれました。
あと、先日、緩和ケアのシンポジウムで、永六輔さんと、お父様とのお話しをさせていただいたのですが、次の日にわざわざ私に、お手紙を下さって、本当にありがたいと感謝しました。
ここのところ、実は、闇のような状態でした。でも「乗り越えられない壁はない」そう実感しました。
人はひとりでは生きていけません。辛いときも、誰かが手を差し伸べてくださいます。
私は、未熟なので、まだまだたくさんの方に、助けていただいています。
これから、きっと恩返しができるよう、今度は私が手を差し伸べることができるようにしなければと感じました。
みんな、一人ではありません。家族、恋人、友人、同僚・・・・そして私もいます。
小さくても、幸せなことはたくさんあります。
みなさんも、ちょっとしたことで幸せを感じることができると、人生も悪くないなって思うこともありますよ。

2008年6月3日火曜日

がん患者さんのご家族からのメール・・心の準備

先日、がんでご家族を亡くされた方からメールをいただきました。ご本人に承諾をいただきましたので原文のままご紹介します。

「がん患者の家族にとって、がんという病気でよかったのかもしれない・・・そう感じることがひとつあります。それは、こころの準備です。交通事故や脳梗塞などでは、大切な家族の「死」という現実に対して、こころの準備などをする猶予が与えられません。もちろん、徐々に弱っていく姿を見るのは辛いことではありましたが、反面、亡くなってしまった後のことをあれこれ、かなり具体的に準備したり、必要があれば調べたりもできるのは、がんという病気だからともいえます。私の父親の場合は、病気の進行があまりにも早かったために、本人の望むようなことはしてあげられませんでしたが、「残された時間をどう有意義に過ごすか」患者本人にとっても、また家族にとっても、考え実行することが可能な病気でもあると感じました。」
私の母も肺がんです。そういえば、最初は何をどうしたらよいのか悩みました。でも、徐々に向き合う時間があったようにも思います。
それとは逆に、兄は、24歳のときに、心停止をしました。突然のことで、大阪に行ったときは(当時は私は九州に住んでいました)人工呼吸器をつけて、意識もない状態。医者からは「回復は難しい。」といわれ、急なことで、兄が存在しなくなってしまうことが考えられず、受け入れることなどできませんでした。
幸いにも、奇跡的に回復し、今は後遺症もなく社会復帰していますが、兄のときと、母の場合と現実の受け入れが違ったような気がします。
どちらにしても、ご家族も「第2の患者」といわれるように、とてもお辛いことでしょう。
医療者として(人として)接するとき、いつもご本人とご家族や周りを含めて、サポートしたいと思っています。

2008年6月1日日曜日

5月31日 「がん終末期の医療体制を考えるシンポジウム」に参加しました。

日本医療学会主催で、様々な分野から(医師、看護師、患者家族、医療経済学教授など)の参加で、シンポジウムが開催されました。

日本医療学会とは、
「国民による、国民のためのよい医療をつくる」ことを目的として設立された学会で、医療者が中心となるこれまでの学会とは異なり、国民すべての方々と医療の問題を討議し、社会に提言していく学会です。

シンポジストの中に、永六輔さんが参加されていました。永六輔さんのお父様のご病気のときに、医療現場でご縁があったので、少しお話をさせていただきました。 とても穏やかな方でした。

本題のシンポジウムでは、医療者のみならず、患者、家族、メディア…などの参画型医療でないと、今までの医療崩壊は止められない、ということや「家で死に行く街づくり」が患者さんにとって居心地がいいのではないかと活動されている方や、緩和ケア病棟は足りているのかという問題指摘などもありました。

緩和ケア病棟は確かに増えていますが、一方でさらにニーズが増え、結果的には足りていないことになります。その問題としては、施設基準、診療報酬、マンパワーの不足などがあげられました。

治療に関して、意思決定を行うことについては「決めないということを決めるのも意思決定である。」という言葉がとても印象に残りました。

それと、「死にゆく人と死について語る」という言葉がとても重く心に響きました。人は生まれたら必ず死にます。しかし、直面している人と向き合うことはとても深いものがあります。

病気と、命と、自分と向き合うことを、再度考え、実践してみようと思ったシンポジウムでした。