2008年4月30日水曜日

太陽の光の効果

太陽が温かい光を伝えてくれる季節になりました。日中は汗ばむこともありますね。
日焼けが気になりながらも、時々、日光浴をするようにしています。日光とビタミンDが深く関係しているのをご存知ですか?私たちの体の中にはさまざまなビタミンが含まれています。そのなかで、ビタミンDは、腸管から食物中のカルシウムの吸収を促進するので、骨の成長にはとても重要な役割を果たしています。
ビタミンD が欠乏すると成人では骨粗鬆症、子供ではクル病といわれる骨の成長の障害による奇形が起こってきます。クル病というのは、日本では、ほとんど見られなくなりました。でも、太陽の照射時間が年間を通じて短い北欧の諸国では、なんと、いまだにみられるそうです。これは、ビタミンD が体の中で産生されるのに、日光にさらされることが必要だからだそうです。
骨の変化を起こすような極端なビタミンD 不足は見られないにしても、軽度のビタミンD 欠乏は、健康な中高年者の3分の1から半分に見られるという疫学的な研究の結果も報告されています。 最近では、ビタミンD の不足が心筋梗塞、心不全、脳梗塞等の血管障害を起こしやすくしているという報告がアメリカの研究者たちによってされています。
そこで、このような心血管障害の発生と血中ビタミンD 値との関係を調べたところ、血中ビタミンD 値が低い(15ng/ml 未満)人達は、ビタミンD値が高い(15ng/ml 以上)人達に比べて、心血管障害の発生率が60%も高くなっていたということでした。またこの傾向は、血圧が高めの人で特に著しく、血中ビタミンD 値が低く、かつ血圧が高い人はその発生率が2倍にも上昇したと報告されています。
ビタミンD は牛乳や魚に含まれているし、サプリメントの形で摂取することもできますが、日常の生活では太陽にあたることが体内のビタミンDを保つのに最も重要だそうです。専門家の話では、10~15分間日光にさらされることを週に3回行えば、必要なビタミンD の血中レベルを維持できるとされています。
ただ日本人の場合、皮膚のメラニン細胞が白人より多く、太陽光線が吸収されにくいので、これよりも長時間の日光浴が必要かもしれません(シミ、そばかすが気になりますが)。それでも天気の良い日の午後の昼休み等に屋外に出歩くだけでも、そのくらいの日光浴はできそうですね。 しかし、太陽光線にあたり過ぎると皮膚ガンになりやすくなることもあるので、特に皮膚のメラニン細胞が少ない白人は皮膚ガンになりやすいのですが、日本人は白人に比べて皮膚ガンになり難いようで、皮膚ガンになる危険性よりも太陽光線にあたることの気持ち良さ、血中ビタミンD の増加の利点の方が遥かに大きいと思うのです。連休やお出かけのシーズン、お外でのんびりもいいのでは。(私は仕事ですが・・・・)

2008年4月27日日曜日

私にとっての人生とは。

私は、よく『自分の人生の意味』とか、『人生の目的』について考ることがあります。
どうして今のこの時代に、ここにいるのかな。と。
生まれたからには人はいつかは死にます。それが、90年とか、100年の人も居るし、もっと短い人も居ますが、今のところ、永遠に死なない人はいません。人間の死亡率は100%です。ところが、自分にどれだけの時間が与えられているかについてはわかりません。でも、人間は一日、一日、確実に人生最後の日に近づいています。
この世に生まれた日から、死に向かって生き始めるのです。しかも、人生って簡単にいかないこと、思い通りに行かないことも沢山あります。こう考えると、人生って”むなしい”と思えてしまうのですが、だからこそ人生は価値があるし、意味があるのだと思います。
私は、特に特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、魂の世界はあるんだろうなと思うし、神というような存在もいるんじゃないかな、と思っています。そして、この人生という与えられた限られた時間は、その魂を磨くための経験、体験の場なのだと思います。だから様々な経験をしながら学び成長しているのです。「人間というものは、栄ようと思ったならば、いたずらに枝葉を伸ばさず幹を逞しくし、根を深く養わねばならない(安岡正篤)」という言葉があります。人生における困難や、思い通りに行かない事、悲しい事も、自分を成長させ、魂を磨くための貴重な経験だとつらい時は自分に言い聞かせて乗り越えることにしています。時には壁にぶつかり、諦めそうになるけれど、いったん距離をおいて別の方法や道を探すように考えます。あとは「信じて努力すること」です。
何事も、目の前に起きたことや出会いは必然のように感じます。だから、それを真剣に捉え、大切に、たくさんの人の力となれるように今を生きること…これが私の人生なのかなと感じています。

2008年4月26日土曜日

たくさんのメッセージ。

私は以前、看護学生の実習指導をしていました。とても緊張しながらやってくる学生がなるべく不安や緊張がなくなるように、よくお話をしました。技術的なことの指導はそうですが、「雑談のすすめ」と称し雑談もしました。そこから学生の本音や思いが伝わることも多かったのです。
終わるころはよく「お手紙」をいただいて、今でも学校を巣立ち医療の現場で羽ばたいている教え子たちから連絡がきます。本当に嬉しくなります。
そしてセミナー講師もしていましたが、セミナーは対話型が多かったので、時には無駄話もあったように思います。最後には感想をいただき、参考になることばかりでありがたいなと思いました。
今も、いろんな場面(仕事やプライベートでも)で、色々な意見やご指導をいただきます。どれも私には宝物です。成長に欠かせない厳しい意見もあります。そのときも、いつも真摯に受け止めるようにしています。(時に落ち込みますけど・・・)
ブログをはじめて、たくさんのコメントをいただいています。(直接感想を伝えてくださる方もいらっしゃいますが)ひとつひとつ大切に、きちんと受け止めて、これからも大切にお返事をしていこうと思います。

2008年4月24日木曜日

やってみること。自分を誉めること。

毎日忙しくて(特に新年度始めもあって)、やる事が多く、なかなか行動ができてないなんて事はありませんか?
日本には『案ずるより生むが易し』ということわざがありますね。これは、「頭で考え、いろいろと想像するよりも、実際にやってみると意外と簡単だ」という意味なのですが、実際、この言葉は私にはあてはまるように思います。
何か物事をやろうとするときに、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、と考えていると(私はそう考えてしまします)、だんだんそのやることの多さや、できるだろうか、難しそうという先入観に圧倒されてきます。そして、圧倒されてしまうと、頭で考えてしまって、行動ができなくなってしまいます。
でも、実際にやりだすと意外と困難ではない場合があります。では、圧倒されているときにはどうしたら良いのでしょうか?人は、未知の存在というものに対して非常に大袈裟に想像しすぎたり、不安を感じたりするようです。ですので、まずは、自分が取り組もうとしていること(内容)をより明確にすることから始めましょう。
『明確さは力である』というように、まずは、やるべき項目、やりたい項目を箇条書きで書き出し手見ます。そして、今度は、優先順位やかかる時間を考えながら、スケジュールを立てます。(1日で収まりそうにない場合は、一週間の予定の中で時間の配分をします。)
こうして、自分でできると思えるサイズにしてスケジューリングすると、なんだかできそうな気がしてきます。この『なんとかなりそう』『できそう』という感覚が重要のようです。そしてそれに基ずいて行動して、やり終わった項目はチェックマークや、線を引いて消していくと、だんだん項目が減っていき、前進しているのがわかるので、気分も軽くなっていくし、楽しくなってきます。
また、重要なのは何か一つ終わるごとに、一日の作業が終わるごとに、自分を褒めたり(これは私には苦手な部分なのでなかなかできないのですが)、時にはご褒美を与えることです(私はみかんが大好きなので時々買って食べます。)。たとえ思ったよりも時間がかかったり、予定した作業量ができなくても、自分を責めたりせず、行動した自分、頑張った自分を褒める。こうする事で、行動する事がさらに楽しくなり、行動すればまた目標に近づくことができるのではないかと思っています。

2008年4月22日火曜日

感情をコントロールするコツ

仕事で忙しいと、ちょっとしたことでイライラしたりしがちです。
そんな時感情のコントロールや、プラスの解釈をする上で何が必要かなと考えました。
難しいのかもしれませんが、私は、ほどよい「非当事者意識」になるように意識しています。
「非当事者意識」というのは、第三者的な目で自分や自分の立場を見ることです。通常、人は大変な状況に巻き込まれたときと言うのは完全に当事者意識で物事を見てしまいます。当事者意識になっていると、自分ごととして捕らえているので、つい感情に振りまわされてしまいます。(渦に巻き込まれるような感じでしょうか・・・)これがポジティブな感情であれば良いのですが、マイナスの感情に支配されてしまうと、そこから抜け出すのは難しく、プラスの解釈や感情のコントロールをしようと思っても難しくなります。
だから、このとき、一旦、自分を客観視できる非当事者意識に切り替えて状況を見てみるのです。そうすると、当事者意識のときとは違った解釈ができるようになるようです。『でも、当事者意識とか、非当事者意識とか、そんなに都合よく切り替えできない。』という方もいると思います。私もそんなときもあります。そんな時は自分への質問をしてみます。他人の目で見るような質問を自分に投げかけるのです。『相手だったら、どうするだろうか?』『尊敬するあの人だったらなんて言うだろうか?』など・・・。こうした質問を投げかけるだけでもいろんな答えが出てきます。そうしたバリエーションを増やすために日頃からいろんな本を読んだり、様々な人とかかわったり、お話を聞いたりするのは、様々な状況に対応するための参考情報としてすごく役に立つと思います。そして、このほどよい非当事者意識は、ほかの人の力になりたいときにも役に立つようです。まず、悩んでいる人とかかわるとき、その人の話を聞き、共感するのですが、ここで感情移入しすぎてしまうと、一緒に悲しい感情になって自分の渦に巻き込まれることもあります。そうなると、相手をプラスに導いたりする事はできなくなります。
文化人類学の先生が「愛ある分析を理解と呼ぶ。」とおっしゃっていました。とても心に残っています。
このほどよい非当事者意識をマスターして、感情のマスターになれるといいですね。でも、うれしい時は完全当事者意識でプラスの感情を思いっきり自分の中に刻むようにしたいです。

4月21日 医療教授システム学会に参加してきました。

新宿文化クイントビルにて、「第1回医療教授システムシンポジウム」が開催されました。
これは、市民と医療者が共同で医療を行う「市民参画」のできる医療を行うために、どのようなシステムが必要かということを検討するものです。
今回は、東京大学医科学研究所の田中祐次医師進行で、獨協大学医学部救急センターの池上敬一教授(とても教育熱心なかたで、市民にも救急蘇生のセミナーなどをされています。)の市民参加で行える救急法(AED)、救急救命九州研究所の畑中哲夫先生によるAEDの配置やその問題点、疑問点にについて。日本BLS協会代表の青木太郎先生による「市民が求めるCPR(心肺蘇生)教育を市民の立場から提言する。」という内容でさまざまな立場や角度からお話しがありました。
街角で見かけるAEDですが、いざとなったら使えるだろうか、「(心肺蘇生を)知っている→できる→使える」の違い。救命士である私も、以前駅で倒れた方の蘇生をしましたが、そのときはAEDを使わずに終わりました。自分が倒れたとき、誰か助けてくれるかなとか、誰か心臓発作が起こったら機敏に動けるかなと不安になったので、今度また研修に参加して学び、広げられればいいと思いました。
そういえば学校には大変多くのAEDが設置されているそうです。でも学生が心臓発作を起こす確立は低いので、あれは先生用ではないのかという意見が出ました。比率からしたら、駅では5年に1回はAEDは使われるのですが、学校は2000年に1回の使用くらいの設置と使用の確立だそうです。キリスト誕生から現代までに1回は使われるだろうという計算らしいのですが、学校設置は、ほかに救命のための活用方法はないものかという意見も出ていました。

2008年4月17日木曜日

命と向き合うこと...

仕事柄、たくさんの命(生き方)に向き合います。病気になると、最初は「どうして私だけが」「何をしたから・・・」と感じる方が多いのです。私もそうでした。そのような気持ちは当たり前で、その方が感情を出すことのできるように、受け止めるようにしています。

そのうち医療の中で、なかなか回復しなかったり悪くなっていく病状で「どうしてこんなことに」と、更にやり場のない怒りがぶつかってきます。この時は、私たちは受け止めて聞くこともしますが、一緒に考えて歩くことをします。そのうち自分たちで状況を納得したり、受け入れたりしていきます。
命と向き合うと、生きていることを実感します。そして、生まれてきた以上、人は必ず死を迎えることも理解します。
その人、その家族にとって一番いい最期をどう迎えればいいのか、言葉だけでなく、しぐさや表情、文字などを使って表現すること(非言語的コミュニケーション)などを考えます。
私は、「人はいつ死ぬか分からない、だから今を感謝して生きる。今、この時を精一杯後悔のないように」生きています。伝えたいこと、伝えたい気持ちはできるだけ素直にお話ししています。そして私はみんなの側でそっと支えられるように、ものごとを受け止めて一緒に歩いて(伴走)できる存在になれるといいと思っています。

2008年4月16日水曜日

マイノリティのお話

私はずいぶん長いこと、同性愛の彼、彼女たちと交流があります。お話ししてくださる方も少しずつ増えてきました。
マイノリティ…社会的少数者又は社会的少数集団(性的少数者、社会的弱者、宗教、民族など)と言われていて、多くは偏見や差別などを持たれてつらい立場にいるようです。
先日はセクシュアルマイノリティというテーマをいただいてお話をしてきました。(彼らの恋愛や人生観についてのお話しです。)
ずいぶん日本においてもテレビの影響なのか、同性愛者への理解はでてきたと思うのですが、それでも偏見は肌で感じることが多いです。偏見から自分での葛藤、孤立している人も少なくありません。
人が人を好きになることに変わりはないと思うのですが。
生き方や生活スタイルからすると私も少数派で「変わり者」なのかもしれません。でもマイノリティな部分は誰しもあるように思えるのです。
先日の友人は恋愛下手な私に「女心と男性の心理」を伝授してくれました。将来の参考にできそうです。

2008年4月14日月曜日

4月12日「医療現場の生の声を国会に届けるシンポジウム」に参加しました

「医療現場の危機打開と再建を目指す国会議員連盟」のメンバーが主となり、医療提供者(医療従事者)、医療メディア、政策立案者、患者団体の参加でシンポジウムが開催。聴講席は満席で「真の公聴会」は開幕となりました。
救急患者のたらいまわし、週産期医療、訴訟による萎縮医療、新生児(NICU)の現状、職員不足からくる医療者の疲弊(ある病院は年間100回もの当直をしている医師がいるそうです)の問題が現場の方から話がありました。
どれも今始まったことではない様に思います。私が勤務しているときもそのような問題は感じていたし、患者として入院したときも疑問を持ったことがあります。
患者代表の方は、「医療の安全と質」を求めていました。
今回は、議員と医療提供者(医師がほとんど)の参加でした。
医療者も誰でも生きている以上病気になります。家族が病気になることもあるでしょう。誰しも「他人事」ではないのです。現場の声もだが、患者さん、国民の本当の声はどこまで政治に届くのだろうかという感想を持ちました。

2008年4月11日金曜日

入院の時

数年前、私はある病気で入院しました。出てくる症状にひどく悩まされ、駆け込むように入院し、治療。落ち着くと今度は入院は退屈なもので、出てくる食事が楽しみになりました。(これは昼食だったかな)この時の看護師さんはとっても優しくて、食べることのできない私にずいぶんと食事や生活についての工夫をしてくれました。
働いている時はわからなかった気遣いが、入院して目線を変えるとたくさんわかってきます。ちょっとした言葉やしぐさで癒されることがたくさんありました。
お薬よりも効果的なこともあるようです。

2008年4月8日火曜日

父現る!?

私は父の顔を知りません。幼いころに離れたので何も記憶がありません。でも、私は父に似ているといわれていました。「どんな人なんだろう?」写真を探してもありませんでした。
ところが最近母が整理していた荷物の中から出てきたのです。どことなく似ているような・・・。とても会いたいと思いました。
もし、会うことができるのなら言いたいことがあります。
「お父さんがいてくれたから今の私がいます。お父さん、ありがとう。」と。そして「会いたかったよぉ。」と甘えてみたいです。
大人にはいろんな事情があるようです。でも子供の私にはわかりませんでした。
 今はなんとなくわかる気がします。大人になったからでしょうか・・・。

2008年4月7日月曜日

ちょっとしたイベント

人生には様々なイベントがあります。出産、入学、結婚、別れ、出会い・・・
イベント(出来事)を通して人は学んだり、成長したり、意識を変えたり、人生観が変わったりするようです。
私にも最近、ちょっとしたイベント(出来事)がありました。学びや仕事、生活において自分で枯渇していた部分を変えるほどの書物や言葉、出会いです。枯渇していてどうしようもなかった自分に潤いを与えていただいた様です。感謝感謝。
生きていると元気な時ばかりではありません。おっくうな時や、体調が悪い時、悲しい時、イライラするときもあります。私はそんな経験をするたびに一つ成長している自分も発見します。でもどうやら自分だけでなんとかやってきたわけではなく、周りの方々の支えが大きいよな気がします。
今回の枯渇した自分を変えるような出来事も、変わりたいと思う自分だけでなんとかなったわけではありません。だから「自分だけでなんとかしなければ」と力を入れなくてもいいのではないかなと思う今日この頃です。

2008年4月5日土曜日

目の魅力

私は人と話すときに「目」を見ます。(当たり前かな。・・でも母に叱られたり都合が悪いと目をそらします。「目は口ほどにものをいう」「目は心の窓」ということでしょうか。そういえばうちのネコも私が叱ると目をそらします。)
先日、とっても澄んだ、きれいな目の方にお会いしました。思わずじっと見てしまって瞬きも忘れるくらいでした。体調がすぐれないとおっしゃっていたのですが、内側から出る輝きというか、美しく繊細なまなざしは、すいこまれるような生命の神秘があって、物静かで穏やかな方ですが、とても強い「眼力」を感じました。「生き生きとしたまなざし」とでもいうのでしょうか。
私は自分の目を(顔を)直接見ることはできません。(誰でもそうですが)でも考え方や意識が表情やまなざしに出るとしたら、今の私はどんな「目」をしているのかなと考えてしましました。

2008年4月4日金曜日

バスマット注意

つい数日前、私は浴室の脱衣場で滑って転んでしましました。肋骨に2本ひびがはいるけがをしました。
我が家の脱衣場は滑りやすく、湯上りの濡れた足では転びそうになります。
時々、母に「バスマットを敷きなさい」と言われているのに敷かなかったらこの有様で、母は呆れています。
そういえば、数年前にころんで後頭部を7針以上縫うほどの大けがをしました。あの時もおなじ状況だったような気がします。
お風呂場が何で滑りやすい素材で作ってあるんだろう(水はけの問題かな)、脱衣場までつるつるしなくてもいいのにと、自分を顧みず、そんなことを考えてしまいました。喉もと過ぎれば熱さ忘れるではないように、痛みがなくなっても、これからはバスマットを敷こうと決めました。

2008年4月2日水曜日

私の好きなマザーテレサの言葉と私の生き方

「たいせつなのは、どれだけたくさんのことをしたのかではなく、どれだけ心をこめたかです。」

ものごとを行う時、誰かと接するとき、何か活動をする時、必ず思い出だすマザーテレサの言葉です。そして、人生において、悩むときには、セネカの言葉を思い出します。
「人生は物語のようなものだ。重要なのは、どんなに長いかということではなく、どれだけ良いかということだ。」
たとえ短い時間でも、小さなことでも、心をこめて、良いと思えることが大切なのですね。いつも、何かしなければ、とあせってばかりです。そんなときにはゆっくりと言葉を思い出します。
そんな心に残る皆さんの言葉はありますか?

体内時計

うちのネコは、朝5時になれば私を起こします。必ず5時なんです。4匹で「ご飯ご飯」と鳴きます。(実際にご飯とは言わないです。)食べると寝ます。11時には母にまとわりつき「ご飯ご飯」とアプローチするそうです。 また食べると寝ます。夕方も同じです。夜、私が帰宅すると、待ってましたとばかりに「ご飯ご飯」と寄ってきます。
そして少しだけ遊んで寝ます。どうしてあんなに時間に正確なのか不思議です。動物のカンなのか、生活習慣なのか。ネコにも役割があって、声で起こす係、しぐさで教える係、後ろで見ていてごはんが出ると食べるだけの係がいます。寝る場所はそれぞれ別なのに、寝る時間や起きて遊ぶ時間は一斉です。私は不規則な生活をしているためか、体内時計が備わっていないみたいです。
そういえば規則的生活の母は、体内時計があるような・・・・

2008年4月1日火曜日

桜便り




4月に入りました。世間は年度初めであわただしそうです。入学、入社、進学・・・新しい世界がたくさんありそうです。


寒い時期をひっそりと過ごしてきた息吹が一斉に花開く感じがします。


確か、新年には「今年こそは」と目標を立て、4月には「今年度こそは」と目標を考えて年月が経っているようです。


今年もささやかな目標を立てたのですが、「今」はその瞬間しかないので、先の目標のためにも今を大切にしていこうと考えています。


私には無縁なのですが、歓迎会やお花見などでお酒を飲んだり、夜更かしが多くなる時期ですね。


身体無理しないように・・・