2008年5月8日木曜日

明日が来るのが奇跡。余命1カ月の花嫁より。

「余命1ヶ月の花嫁」という番組が放映されました。

彼女が伝えたかったメッセージを、生きている私が伝えられればと思い掲載させていただきました。

千恵さん(24歳)はある日、胸に異変を感じました。しこりがありどんどん大きくなったため病院へ行きました。CT画像で左胸に影、「乳がん」が見つかったのです。すぐに抗がん剤の投与が始まりました。当時イベントコンパニオンをしていた千恵さんは、副作用で毛が抜け落ちることに大きなショックを受けました。恋人の太郎さん(30歳)はIT関連企業に勤務していますが、年上の彼の前ではしっかり者の千恵さんが甘えん坊になってしまいます。彼は仕事を終えて毎日泊まり込みで看病してくれています。 太郎さんが千恵さんと出会ってデートに誘い「付き合おうよ」と誘った時、この誘いに千恵さんは「ちょっと待って」と答えました。なぜならその時千恵さんは,胸のしこりの検査結果を待っているところだったのです。「乳がんが見つかったの。あなたとは付き合えないよ」と目の前で泣く千恵さんを見て太郎さんは「一緒に頑張ろう」。「おっぱいのない彼女でいいの?なんで千恵を選ぶの?」。「胸がなくても、髪がなくても、千恵が千恵でいるならそれでいい」。 しかし若い千恵さんのがんはすさまじい勢いで進行しました。痛み止めが切れると、のたうち回り骨が折れそうな痛みで、どの体勢も辛いと千恵さんは苦しみます。骨と肺に転移し、骨の激しい痛みと呼吸困難の発作を起こすようになり、千恵さんは太郎さんへメールを送りました。「たろちゃん,ちえ生きたいよ…助けて!怖いよ」。千恵さんが、「治らないかもしれない」と思った瞬間でした。医師の「あと1ヶ月・・・もう少し早くなるかもしれません」という言葉に、父と太郎さんは「この一ヶ月で最高の思い出を作ってあげよう」と決心しました。 千恵さんの願いはウェディング・ドレスを着ること。これを友人にだけは打ち明けていました。友人は、ドレス姿の写真撮影だけでなく、結婚式も挙げてあげたいと思いました。友人は、千恵さんにウェディングドレスの写真を撮ろうね、と連れ出しましたが、千恵さは体調が悪く辛そうでした。でも写真を撮るだけだと思っていた千恵さんに二つのサプライズがあったのです。一つは友人が太郎さんとの結婚式を企画してくれたこと。もう一つは太郎さんが自分のお気に入りの結婚指輪を贈ってくれたことでした。以前ブライダル雑誌を見ていた千恵さんが「この指輪いいな」と呟くのを聞いていた太郎さんは、必死に探して前日手に入れたのでした。酸素吸入器を外して、とびっきりの笑顔の千恵さんは本当にきれいです。「このままがんが消えてなくなればいい」。その場にいた全員がそんな奇跡を祈らずにはいられないひとときでした。
残りわずかな命・・・。でも千恵さんはその時、幸せでした・・・。 千恵さんはこのようなコメントを残しています。「この式は私側の親族と一部の友人のみで正式なものではないけど、“感激”以上の言葉を知っている方いたら教えてください。私はありえない感動を味わいました。みなさんに明日が来ることは奇跡です。 それを知っているだけで、日常は幸せなことだらけで溢れてます。」 実は、お母さんも千恵さんが中学三年生の時、ガンで亡くなっているのです。お父さんは痛みに苦しむ妻の姿を見ていられず、医者から「モルヒネの点滴をすれば痛みはなくなるが、意識がもうろうとして会話が出来なくなる」と聞いていても、苦しませたくない思いでモルヒネの点滴を選びました。お母さんはやはり会話が出来なくなり、数日後に亡くなりました。このことが千恵さんに大きな影響を与え、モルヒネを点滴すれば激しい痛みから解放されるのは分かっていても、どんなに痛みが激しくても千恵さんは拒みました。実は、最近の医療では意識がなくならない薬があるのですが。 太郎さんへの思いは?と聞かれたとき、千恵さんは「日本語の中に言葉がないです。ただの愛でもなく、“かけがえのない人”でも軽すぎる。本当にぴったりの言葉が見つからないです」。お父さんや友だちには?と聞くと、「感謝、感謝。そんな言葉じゃ申し訳ないぐらい」。また千恵さんはこう語ります。「生きているのって奇跡だよね。いろんな人に支えられて生きているんだよね。私、これで元気になれたらすごい人間になれると思う」。 ついに、千恵さんは朝から意識がはっきりしません。ほとんど眠った状態でした。お母さんが亡くなってから、お母さん代わりに育ててくれた叔母さんは、「千恵のお母さんが生きていたらきっと千恵もわがままを言えた。もっと“辛いよ”と泣けたと思う。千恵はどんなに泣いても、“もう大丈夫。泣かない、頑張る”そればっかりだった」と話します。親族,友人が集まりベッドの千恵さんを見守りました。午後4時42分、長島千恵さん永眠。 闘いを終えた千恵さんの告別式。友だちがお別れに来ました。祭壇の真ん中、そこで千恵さんはウェディング・ドレスを着て微笑んでいます。一月前のあの晴れた日、チャペルで見せたあのとびっきりの笑顔でした。千恵さん、24年と6ヶ月の生涯でした。 千恵さんからのメッセージ「自分がなるまですごい他人事なんですよね、病気って。病気になってからじゃ遅いんだっていうのをわかってもらって、早いうちに防ぐっていうのがすごい大事だと思う」 「命が惜しくないと思っていたが、間違っていた」「今何となく生きている、という人にこの(千恵さんの)姿を見せたい」「何げない生活が本当に幸せなのだと気づいた」。このようなコメントが続々と放送したテレビ局に送られています。皆さんはどう感じられましたか?

2 件のコメント:

スネイクヘッド さんのコメント...

去年の本放送を見て涙が止まりませんでした。いろんな感情がこみ上げてきて、もし神がいるのなら彼女に課せられた重すぎる運命に怒りをおぼえ、彼女を支える父親、恋人、友人達の思いに胸が締め付けられ、彼女の笑顔に救われて...。


彼女からあらためて教えられたこと。
自分に課せられた運命に【絶望】せずに立ち向かい
最期まで諦めず【希望】を持ち続けたこと。

絶望からは何も生まれない。
希望があれば人は強くなれる。

それは一人ぼっちではなく、彼女を支えた皆さんの思いで倍増されて。

自分がもし千恵さんの立場になったら
笑って希望を持ち続けることができるだろうか?
もし愛する人の命があとわずかで隣で笑顔で支えられるだろうか?

答えはイエス、胸を張って言えます。
彼女からそれだけ強い【おもい】を
頂いたから。

「風って気持ちいいんだよ? 知ってる?」

私も体中に風を受けると、あぁ。生きてるって昔から感じてきました。

彼女の言葉でまた再確認できました。
ありがとう。

なんかとりとめのない滅裂な文章で
すみません。自分の素直な思いを
綴ってみました。

ご存じない皆さんも是非、書籍化されているので読んで頂きたいです。

erica さんのコメント...

小さなことでも幸せと感じられること。私もそうです。
自分の病気がわかってから、いつどうなるかもわからない日々の中、一つ一つ幸せを感じながら生きています。
時には泣くことだってあります。でも痛みも悲しみも「今ここに」生きている証。

当たり前に生きることが、どれだけ素敵な奇跡なのか、私はそう思いながら、今、を生きています。
限られた時間の中で、皆さんの「命の力になりたい」から。