2008年5月5日月曜日

医者のモラル

今年の1月に母が肺がんの手術をしました。
昨年の12月に発見され、宣告されたときには、「がん」という言葉だけが頭に響き、その後の説明も聞けないくらいで、どのようにして帰宅したのかもわからないくらいでした。そのとき、医者が「あなたは医療者なのだから、わかりますよね。」と言った言葉を忘れません。切羽詰った状態だったので、ほかの病院の選択の余地がなく、そこにお願いするしかない状態でした。
そして手術の説明の日も、淡々と、私たちの顔も見ずに説明を続けました。質問すると、「医療者だから、わかるでしょう。」という態度と口調でした。
いよいよ手術の日、数時間の手術を待つ家族としては、とてもとても長く感じました。「そろそろ終わりますよ。長かったでしょう。」と看護師さんが声をかけてくださり、手術室の前へ。まだ眠ったままの母は病室に運ばれ、私は先生の説明を聞くために廊下で待っていました。すると、ビニールに、母の切除した「肺」を入れ、ブラブラぶら下げて医者が出てきました。「これが取った肺なんだけど、ここで説明していいよね?」というではありませんか。さすがにあきれた私は「先生、きちんとお部屋で説明してください。」と言いました。あわてた医者は、部屋で説明をしましたが、目を合わせることもなく、簡単に話し「もういいですか?」と聞くのです。「先生はいつもそのような説明の仕方をしているのですか?」
と思わず聞いてしましました。あまりにも「人」として、疑問があったからです。
私は「私は医療者ですが、今は家族としてきています。先生は医者である前に、人であってほしいです。あなたのご家族が病気になったときあなたのような医者に診てもらいたいと思うでしょうか?」と、それだけを伝えて部屋を後にしましたが、これが精一杯の言葉でした。
人なので、間違いや落ち度はあるかもしれません。
でも、人として、心のある、思いやりのある態度で命と向き合ってほしいと強く感じました。
「医者のモラル」ではなく「人としてのモラル」なんでしょうね。

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